田久保真紀の若い頃とは?出身や学歴・広告業界での歩みを紹介‼

田久保真紀

伊東市長として注目を集めている田久保真紀氏。

環境保護を掲げて市政に挑む姿勢は、多くの市民から共感を得ています。

では、そんな田久保市長の若い頃はどのような経歴を歩んできたのでしょうか?

今回は、出身地や学歴、若い頃の仕事など、信頼できる情報をもとにご紹介します。

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目次

田久保真紀の若い頃とは?

田久保氏は1970年2月3日、千葉県船橋市に生まれました。

10歳の頃に父親を病気で亡くし、

その後、中学3年生で静岡県伊東市に転居。

地元・伊東市での生活がその後の政治活動にもつながっていきます。

高校まで伊東で過ごすも、大学は除籍に

中学は伊東市立北中学校、高校は静岡県立伊東城ヶ崎高等学校を卒業。

進学先は東洋大学法学部でしたが、

のちに除籍となったことが明らかになっています。

市長は記者会見で、「在籍期間が8年を超えて除籍となった」と説明しており、

学歴詐称を認めています。

バイク便から広告業界へ。若い頃の多様な職歴

出典元:バイク便ソクハイ

大学除籍後は、バイク便ライダーとして働き、

イベント人材派遣会社でも勤務。

その後、自ら広告業界で独立を果たされました。

若い頃から現場仕事に飛び込み、

実務経験を積みながら経営者として成長したようです。

いろんな経験をされていますね。

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田久保真紀・広告業界市長へ

2010年ごろに再び地元・伊東へと戻ります。

伊豆高原でカフェを開業し、地域と深く関わるようになりました。

店名:Cafe SORA(Bio & Natural‑Food Cafe SORA)

所在地:静岡県伊東市富戸 908‑69(城ヶ崎海岸駅から徒歩10分)

営業内容:完全植物性(ヴィーガン)メニューを中心に、玄米や雑穀を使ったタコライス・カレー・スイーツなどを提供

出典元:amebro.jp

転機となったのは、2018年に持ち上がった「伊豆高原メガソーラー計画」。

地元の自然や景観を守ろうとする住民運動に加わり、

訴訟支援の会の事務局長から代表を務めるなど、地域活動の中心人物となりました。

この活動を通じて、田久保さんは「市民目線でのまちづくり」の必要性を強く感じ、

2019年に伊東市議会議員に初当選。

議員として2期6年を務め、

2025年、図書館建設反対の市民の声を受けて伊東市長選に出馬。

組織票を持つ現職を破り、市長に初当選しました。

市民からは信頼を得ての当選だったことと思います。

出典元:日テレNEWS
年代出来事
1970年千葉県船橋市で誕生(2月3日)
~1985年頃父親を病気で亡くし、静岡県伊東市へ転居
1988年頃静岡県立伊東城ヶ崎高等学校 卒業
~1990年代東洋大学法学部に進学 → のちに除籍となる
1990年代~2000年代上京し、バイク便ライダー → 人材派遣会社勤務 → 広告・企画営業の世界へ
2000年代後半広告業界でフリーランスとして独立。営業・企画業務に携わる
2010年ごろ伊東市にUターンし、カフェを開業(伊豆高原)
2018年「伊豆高原メガソーラー訴訟を支援する会」事務局長→代表に就任
2019年伊東市議会議員に初当選(無所属・市民派)
2023年市議2期目に突入(持続可能な街づくりを訴える)
2025年5月伊東市長選に出馬し、現職を破って初当選
2025年5月29日伊東市長に就任
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まとめ

田久保真紀氏の若い頃は、順風満帆とは言えないものの、

実直に働き、地元・伊東に戻って市民活動を経て政治家へと転身した歩みがうかがえます。

華々しい学歴はなくとも、

市民の声に寄り添う市長としての姿勢は、

これまでの経験が大きく影響しているように思います。

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田久保真紀市長の東洋大学除籍が判明で学歴詐称⁈
田久保真紀市長の経歴についてはこちら。

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