中居正広の幼少期のエピソード!父親との関係は最強の相性?
本日、2025年1月23日に引退を発表した中居正広さん。
突然のことで驚かれたことと思います。
父、故正志さんも驚かれていることと思います。
今回は、中居正広さんの幼少期をお伝えしたいと思います。
中居正広の家族
中居正広本人は神奈川県藤沢市出身
自身のルーツは北海道
父・正志は岩内町出身
- 父:正志 – 自営業をしながら、息子たちを必死に育てる。
- ジャニーズタレントの家族としては極めて異例の存在。
- 中居のことを愛情を込めて「ヒロちゃん」と呼んでいた。
- 婚期を逃し続ける中居を嘆いていたこともあった。
- 中居と同様に物欲がない。
- 父の日のお祝いを「俺を父親にしてくれた子供たちに感謝する日なんだから、お祝いはいらない」と言われた。
- 2013年2月に肺がんと診断され、2014年5月か6月には咽頭がんが見つかり2015年2月に死去した。
- 母 – 絹代は中居が購入した東京郊外のマンモスマンションで暮らしている。
- 中居は「敷地内に体育館、図書館、コンビニ、小さい病院がある。ピッとボタンを押したら敷地内の病院につながるから安心」と母のことを述べる。
- 長兄・次兄 – ともに一般人である。
ヒロちゃんと呼んだり、婚期を逃す中居さんを嘆いたり、父に日のの祝いを断ったり
ユニークで優しくて子供思いのお父さんに育てられていることが、うかがえます。
中居正広の幼少期

幼少期の中居さんの暮らしや食生活は質素そのもの。
以前番組に出演されて、コンビニの惣菜を買って食べることが多いと明かした。
「肉とお魚とサラダ、その3つで1000円以内」と話している。
中居さんの“倹約精神”は、幼い頃の経験から来ているようです。
というのも中居さんは幼少期に極貧生活を送っていたのです。
SMAPとして国民的スターとなり、独立後も司会者として大人気の中居さん。
華々しいキャリアを築くまでには壮絶な半生があった。
- 「中居さんは1972年に3兄弟の末っ子として生まれました。生まれ育った家の広さは3畳半から4畳ほどで、当時は風呂に週2回しか入れなかったそうです。夏場は学校で水泳の授業があるため、風呂は週1回だったといいます」

極貧ゆえに食生活も独特なものだった。お父さんの子育ては、ちょっとサバイバルな様子を受けます。
「食べるものがなかったため、兄と工夫して米にバターと醤油をかけて“バターご飯”にしたり、チューブのわさびと酢をかけて“わさびご飯”にしたりしていたといいます。それもなくなると、ご飯に水をかけただけの“水かけご飯”を食べていたそうです」

こんな涙ぐましいエピソードも。
「自身の家庭では“3時のおやつ”が一切なかったそうです。そのため、友だちの家に遊びに行ったときに振る舞われたカルピスを、通常より濃く作って飲んでいたと明かしています。サンタさんが来たことも一度もなかったと話していました」

しかしそんななかでも懸命に育ててくれた父・正志さんに中居は非常に感謝をしていると話されています。
うちは、プレゼントをもらうような誕生日会はやらなかったなぁ。でも、僕自身は、家族の誕生日にはおこづかいを貯めて何かしら買ってました。親父には小2のときに好物のアワビを買いに行ったこともあります》《お父さんはお金がないからいつも同じタバコを買っているんだろうと思い、いつもより20円高いタバコのセットをプレゼントしたことも。今考えたら好みの銘柄じゃなくて困ったと思うけど大事に吸ってくれてたなぁ(苦笑)》 「正志さんが決めた中居家の家訓は『求めるな、与えよ』。正志さんが2015年に亡くなった際、その葬儀でも自筆のこの家訓が飾られていたそうです。 仲間たちに気前よくプレゼントを贈る中居さんですが、幼少期からの『求めるな、与えよ』という精神を今でも大切にしているのでしょう」
(前出・制作関係者)
中居家家訓、素晴らしいです。
中居正広の父との仲
幼少期から青少年期の様子は写真でしか見受けることができませんが
結構、突っ張ておられたようすですね。
こういうのが流行った時期なのかもしれません。
「今日から俺は」や「ビーバップハイスクール」が漫画がありましたね。

「ヒロちゃん」と呼んでいたお父さん。

とっても陽気なお父さん。

とっても仲の良い関係に見られますね。
まとめ
中居さんの幼少期は壮絶なものでした。
兄弟3人、子供思いのお父さんにたくましく育ててもらえましたね。
今までは求めるな、与えよ精神だったと思いますが
今は信頼できる方を求めて、今回のトラブル引退も乗り越えていかれることを願っています。



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