森永卓郎と妻の離婚危機とは? 義父の介護が原因も最終的には和解していた!

森永卓郎

経済アナリストの森永卓郎さんが原発不明かんのため1月28日にお亡くなりになられました。

闘病生活になられてから家族との時間を取り戻し大切に思われていた森永さん。

そんな森永さんを支えてくれた妻の弘子さん。

森永さんは生前闘病生活になって弘子さんと初めて新婚生活を送っている気分で毎日がとても楽しいとおっしゃていました。

そう思える弘子さんとの夫婦生活のエピソードを調べてみました。

目次

森永卓郎の生立ち

生い立ち

東京都目黒区出身。

父親は、毎日新聞の記者。

祖父は佐賀県嬉野町町長を務めた森永文二。

父のアメリカ合衆国留学と異動に伴い、小学1年時はボストン、4年時はウィーン、5年時はジュネーヴに赴任のため海外で過ごす帰国子女であった。

帰国後、中学生以後は新宿区高田馬場に転居。1970年3月、目黒区立鷹番小学校、1973年3月 新宿区立落合中学校、1976年3月、東京都立戸山高等学校卒業。1976年4月、東京大学理科二類に入学。

森永卓郎と妻のエピソード

森永さんのプロポーズを妻(弘子さん)が受けてくれた理由として「怒らないから」といお話があります。

でも、森永さんは究極の仕事人間で、家のことには無関心だった。 弘子さんは不満を募らせたことでしょう。

いつしか弘子さんから「赤の他人」扱いされ、子供達は「我が家は母子家庭」といっていたくらい、森永さんは家にいなかったらしいですよ。

また、森永さんの仕事の都合上、家族で外出する時には変装して、しかも時間差で行動するよう指示されていたとか…。

これは、変わった光景ですね。

森永さんの思い出話

週末しか会わないから、妻はぼくに言いたいことが山ほどある。バーッと話しているのをテレビを見ながら聞いていると“聞いてるのっ!”と。“聞いてるよ”“じゃ、返事してよ”“したじゃないか”。そういう言い合いはしょっちゅう。月に1回くらいのペースで妻は爆発していますね。

引用元:NEWSポストセブン

これは…よく聞くお話ですね。(笑)

また、弘子さんはお肉を全く食べなかったそうです。

森永さんがすき焼きが食べたいといったら、一人用の小さな鍋を二つ買ってきて、森永さんはすき焼き、弘子さんは肉抜きの野菜鍋を作って一緒に食べて、

「変な家だよね」と言いながらも、森永さんは弘子さんの配慮に感謝していたんですって。お幸せですね。

出典元:日本放送 NEWS ONLINE

手前右にいらっしゃるのが弘子さんですね。

森永卓郎 離婚の危機

ちょっと変わったところもありながら、お幸せそうなお二人にも離婚の危機があったんですね。

2006年に私の父が脳出血で半身不随になったことから介護生活が始まり、家にいない森永さんの代わりに弘子さんの介護が始まりました。

毎朝6時に起きて、父を着替えさせ、歯を磨かせる。トイレは何とか自力で行けたのだが、ちょっとでも躓くと立ち上がれないので目が離せなかったらしいですね。

夜中に警報ベルが鳴ると妻はそのたびに飛び起きて駆けつけていたり、 すべての父の介護が弘子さんに覆いかぶさっているなかなお、森永さんは家に帰宅せずに仕事に専念していました。

父は体は不自由でも頭がフル回転だったので、事あるごとに文句を言い続け、弘子さんのストレスは最高潮に達したのでしょう。

気持ちよくわかります。

弘子さんからの訴えを受けた森永さん…。

そんなある日、「はっきりとしているのは親父の性格が治ることはないということだ」などと言ってしまった一言が弘子さんの怒りを爆発。

仕事中に弘子が「誰のお父さんでしたっけ」というメールが送り、すぐに返信できなかった森永さんに「もう離婚するしかない」と通告されとそうです。

距離はあるけど修羅場ですね

しかしお父さんが体調を崩して入院し、その後は施設に入所することになったのだが、妻は毎日、施設に通い続けて父の世話をされたらしいです。

「ここまでお父さんのお世話をしてきたのだから、放り出すわけにはいかない」いわれたとのこと。

迷惑をかけっぱなしだったお父さんが最後に妻に「ありがとう」と感謝の言葉を口にしされたらしいです。

森永さんは弘子さんには頭が上がらないそうです。

弘子さんご立派です。

離婚の危機はお父さんの容体が悪化されて、そんなこといってられなかったのでしょうね。

お二人の関係か壊れることなく過ごすことができて本当に良かったですね。

最後に…

がんを告知され闘病生活をされていた森永さん。

こんなことを話されていました。

アイツとは互いに理解し合っているなどという発想は人を確実に駄目にする。第一、自分のことを理解しているのは自分だけだ。このことについては、余命宣告を受けていよいよ確信を深めた。 死に向き合うのは孤独な作業だ。私にとっては一人で考える孤独な時間がありがたいのだが、いずれにしても誰かと共有したところで意味がないのだ。 一人で死んでいくことが怖くなってしまうかもしれない。

仲間も友達もいない私にとっての唯一の人間関係が家族だ。

死を直前にして思われた言葉が印象に残りますね。

まとめ

今回のことで、ご夫婦の関係は離婚の危機もあったりと、山あり谷ありだったご様子がるかうかがえます。

エピソードも色々ありましたね。

闘病生活になられて、家族と楽しい時間を過ごされて本当にお幸せだったとおもいます。

これまで、たくさんのご意見を聞かせてくださあり本当にありがとうございました。

森永さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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