フィギュアスケート界で急成長を遂げ、世界の頂点を目指す鍵山優真選手。
その陰には、父でありコーチでもあった鍵山正和さんの存在がありました。
父は元オリンピック選手であり、優真選手の競技人生を支え続けた立役者。
しかし、2020年に突然の脳出血に倒れてしまわれました。
今回は、父の病と親子関係を調べてみました。
鍵山優真と父の関係
鍵山優真選手は、幼いころから父の鍵山正和さんの指導のもとでフィギュアスケートを始めました。
父は単なる親ではなく、常にリンク上でも一緒に戦う「もう一人の自分」とも言える存在だったそうです。
親子の関係は時に厳しく、時に温かい。
スケートリンクではコーチとして、家では父親として、正和さんは優真さんに多くのことを教えてくれました。
2024年3月のインタビューでは、
「父やトレーナーさんなど、いろいろな方がサポートして下さってここまでこられたと思うので、本当に感謝しています」
引用元:スポーツナビ
と、話されていました。
特に、技術だけでなく「試合で結果を出すためのメンタルの作り方」や「努力を続ける姿勢」といった、
人としての土台を築けれたのも、正和さんの教えは大きかったのではないでしょうか。

病に倒れた父
2020年、鍵山優真選手が本格的に世界の舞台へと飛び出そうとしていた矢先、
父・正和さんが脳出血で倒れたという衝撃のニュースが飛び込んできました。
正和さんは長年の激務と無理が重なっていたと言われています。
指導者としてだけでなく、家庭でも父として奔走していた日々。
その疲労が蓄積されていたのかもしれません。
コーチとして常に共にいた父との突然の別れは、優馬選手にとって精神的に大きな試練となったと思います。
リハビリを続けながら、徐々に会話ができるようになるまでに回復しましたが、
コーチとしてリンクに立つことはできなくなりました。
それでも、息子の活躍を見守り、応援する気持ちは変わりません。
「父がいつもどこかで見ている感じで頑張って出ています。また父が帯同できるようになってくると思うので、そこで成長した姿を見せられたらと思っています」
引用元:FNNプライムオンライン
父を思い意識しながら練習に励まれている様子がうかがえますね。
鍵山正和の経歴

鍵山正和さんは、日本男子フィギュアスケート界の先駆者として知られる存在です。
鍵山優真さんはお父さん似ですね。
1992年アルベールビル五輪、1994年リレハンメル五輪に出場し、
日本の男子スケーターとして世界と渡り合った実績を持ちます。
ジャンプやスピンだけでなく、滑り全体の美しさやスケーティング技術に優れ、
その姿に憧れた優真選手は、まさに“父の背中”を見て育ってきました。
引退後はコーチとして指導者の道を選び、数多くの若手を育成。
その中でも、優真選手の才能に誰よりも早く気づき、
可能性を信じて惜しみないサポートを続けてきました。
まさに“父子二代”でフィギュア界を牽引する存在ですね。
まとめ
リンクの片隅に、今も静かに息子を見守る父の姿があります。
正和さんが倒れた後も、優真選手は決してくじけることなく、
父から教わった技術と精神を胸に、スケートと向き合い続けています。
病を乗り越えてなお続く、親子の絆が伝わってきます。
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