義手で看護師として働き、パラリンピックにも出場し、
さらにバイオリニストとしても人々を魅了する女性——伊藤真波(いとう まなみ)さん。
しかしその輝かしい人生の裏には、20歳で突然片腕を失うという壮絶な事故がありました。
「もう二度と夢を叶えられない」
そう絶望した彼女が、なぜ再び歩き出せたのか。その軌跡をご紹介します。
伊藤真波は事故で片腕を失う
オートバイで車と衝突し、右腕を大ケガしてしまいます。
必死の手術が行われましたが、命を守るために右腕の切断を余儀なくされました。
事故当時、看護師を目指して専門学校に通っていた最中。
突然の出来事に本人も家族も言葉を失われたそうです。
伊藤真波は義手で看護師の夢を叶えた

絶望の淵に立たされていた伊藤さんを救ったのは、母の言葉でした。
「真波の人生だから、どう生きるかは真波が決めればいい」
「右腕を失った私が、本当に看護師になれるのだろうか?」
事故後の伊藤さんにとって、“看護師になる”という夢を捨てる理由はいくらでもありました。
しかし彼女は、「できない理由ではなく、できる方法を考えよう」と決意。
右腕がない状態で看護実習にも参加し、義手で注射の練習も繰り返したそうです。
特に難しかったのは、包帯を巻く作業や患者さんの体を支える動作。
普通の人なら当たり前にできることも、義手では難しく、
周囲から“もう諦めたほうがいい”と言われたこともあったと語っています。
それでも、
「患者さんに寄り添いたい。助けたい」
義手でナース服に袖を通した伊藤さんは、“日本初の義手の看護師”という存在になりました。
しかし、それだけでは終わりません。
「身体のハンディキャップがあっても挑戦する姿を見せたい」という思いから、水泳にも挑戦。

苦しいリハビリを乗り越えたその先には、2012年ロンドンパラリンピックという大舞台が待っていたのです。
“看護師”という夢があったからこそ、世界にも挑戦できた。
彼女の努力は、まさに「命をつなぐ看護師」として、
そして「夢を叶える挑戦者」として、多くの人に勇気を与えられています。
伊藤真波は涙のバイオリン挑戦

最初は思うように弾けず、悔しくて何度も泣いたそうです。
「諦める理由を探すんじゃなくて、できる方法を考える」
その信念が彼女を支え、
ついには演奏家として多くの人の前でバイオリンを奏でる存在にまでなりました。
絶望の淵からはい上がられ、できる方法を考えた行動が素晴らしい結果となられました。
伊藤さん知る人はたくさん勇気をもらわれていると思います。
プロフィール
- 名前:伊藤真波(いとう まなみ)
- 生年月日:1984年8月16日
- 出身地:静岡県
- 職業:看護師、パラリンピック競泳選手(2012年ロンドン大会出場)、講演家、バイオリニスト
現在は、講演活動や演奏活動を通じて「夢をあきらめない大切さ」を伝えています。
まとめ
20歳で突然片腕を失われました。
そこから「看護師」「パラリンピアン」「バイオリニスト」と3つの道で夢を叶え続けている伊藤真波さん。
彼女が伝えたいのは「できない理由」ではなく「できる方法を探す」こと。
私たちに勇気を与えてくれるその姿に、これからも応援していきたいです。
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